【創業60周年特別企画】杉養蜂園という「家族」を育み60年。

昭和21年(1946年)、蜜蜂との出会いから始まった養蜂業は、昭和36年に「杉養蜂園」の屋号を掲げ60年が経ちました。その節目に際し、創業者・杉 武男(現常任顧問)と妻・美智子(現相談役)が今日までを語ります。

昭和29年養蜂場から阿蘇五岳を望む杉武男(右)

蜜蜂との出会い。

インタビュアー
「12歳のときに学校で教材だった西洋蜜蜂が全ての始まりだそうですね。」

武男(現常任顧問)

「日本蜜蜂は自然体で育てるのですが、西洋蜜蜂は人が手をかけて管理します。その違いに興味を持ちました。18歳の時には、実家の敷地に巣箱を置いていた移動養蜂業者に興味があって手伝ったものです。その後、譲り受けた巣箱を全滅させたり、他の仕事に就きながら養蜂を続けていましたが、本気で取り組もうと決意し、巣箱を3箱購入しました。それが32箱にまで増え、熊本市の自宅に「杉養蜂園」の看板を揚げたのは昭和36年のことです。」

美智子(現相談役)
「ダンスを通じて出会った頃の主人は製材所で働きながら蜜蜂を飼育していましたが、結婚を機に道を定めたんです。もちろん私も養蜂から瓶詰め、行商まで全て手伝いました。蜜蜂に刺されて顔半分が腫れ上がったのも、懐かしい思い出です。」

 

昭和45年杉武男の販売風景


昭和55年お店に立つ妻の美智子

二人の絆が、杉養蜂園の礎に。

インタビュアー
「立ち上げ時期の苦境をどうやって乗り越えられたのですか?」

武男
「まず、妻に恵まれました。京染をしていた父親の営業を手伝っていたので、人と接するのが好きで、お客様との会話も弾んでいました。また、忘れられないのは、全国の百貨店の物産展に出店していた頃のことです。商品が売り切れてしまったと知らせたら、熊本から福岡まで車を運転して商品を届けてくれたんですよ。」

美智子
「免許を取ったばかりでしたけど、無我夢中で…主人は「よく来たな」と労ってくれました。とにかく一人でも多くの方に自慢のはちみつを味わっていただきたいという思いだったんです。なので、百貨店でご購入いただいた方には、「今度来るときは前もってお知らせしますので、よろしければお名前とご住所を」とお願いして、新蜜の情報なども記したハガキをお送りしていたんですよ。皆さん喜んでくださってね。」

武男
「今でいうDMです。百貨店でそれをしたのは私たちが初めてでした。」

 

 

平成27年8月北海道の蜂場を視察する2人


令和3年6月今も自宅の庭で蜜蜂を飼育

コロナ禍においても蜜蜂たちとともに、元気な毎日を。

インタビュアー
「当時からのお客様もいらっしゃるそうですね。」

美智子
「ええ、生ローヤルゼリーご愛用のお客様で、ご本人やお子様が私宛にお電話をくださるんですよ。私たちも毎日ローヤルゼリーを食べているのですが、2人とも元気なのはそのお陰でしょうか。」

武男
「実は私も養蜂の研究を今も続けています。養蜂業は一生涯一年生。卒業はありません。蜜蜂の集団、組織には、学ぶところが多いんですよ。蜜蜂たちは女王蜂を家長として、子育てのために働き、蓄え、家族の繁栄のためにまた働きます。家族的集団である私たち企業、そして現代社会にも必要な部分ではないでしょうか。そんなことを考えながら、蜜蜂を相手に毎日楽しんでいますし、お客様により大きなご満足をお贈りするための商品開発はさらに楽しいんです。」

美智子
「蜜蜂たちとお客様は、私の元気の素。昔も今も感謝です。」

武男
「お客様の喜びが、私たちの喜びですからね。これからも、より良きものをお届けしていきたい。願いはただ、それだけです。」

 

掲載:杉養蜂園会報誌「みつばち通信秋号」

 

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